「花」撮影ヒント集 * season3






▲向ヶ丘遊園ばら苑(現・生田緑地ばら苑/神奈川県川崎市)にて


20回目を迎えた、秋山庄太郎「花」写真コンテスト。
これまで、開催にあわせて様々な花撮影のヒントをご紹介してきましたが、今回は「秋山庄太郎が
どんな場所で花を撮影していたか」にスポットを当てて、作品やエピソードとともにとりあげます。
花の撮影を楽しむヒントになれば幸いです。

企画/秋山庄太郎「花」写真コンテスト実行委員会 解説・構成/秋山庄太郎写真芸術館


2023.10.19更新 : 「9.薔薇園で―最愛の花を訪ねて」を掲載しました。
↓ クリックすると記事に移動します。







1.公園・植物園で① ― 季節の花に出会う


花の写真を撮ろうと思い立った時、皆さんはどこに出かけるでしょうか?
秋山庄太郎が好んで向かったのは、近くの公園・植物園でした。

「仕事の間隙(かんげき)を縫(ぬ)うようにして、東京の周辺の植物園公園にもよく出かける。向島百花園、新宿御苑など、午前中に一仕事終えて、午後からの仕事に間に合うのである。花草木の種類がまとまっているうえに、往復の時間を省けるから、見逃せない撮影地である。こんな絶好の場所を永年見すごして来たことを悔いるのである。」(秋山庄太郎手稿より)




▲新宿御苑にて


特に頻繁に訪れていた「新宿御苑」(東京都新宿区)では、春はウメ・サクラなどの花木、夏は薔薇やアメリカデイゴ、秋は菊花、冬はスイセンやフクジュソウ…と、季節ごとの花との出会いを楽しんでいました。また、大温室では一年を通じて南国の花を撮影しています。

なお秋山は、東京近郊だけでなく、旅先でもさまざまな公園・植物園を訪問しました。園内での撮影指導会を依頼されたり、植物園の設立支援に携わったりすることも多く、その撮影地は全国に及んでいます。


▲地図をクリックすると大きいサイズでご覧いただけます。


皆さんも、お近くの公園・植物園を、花撮影のホームグラウンドにしてはいかがでしょうか。
※花の撮影は各施設の規定に従うようにしてください。





2.街中の花 ― 散歩をしながら


特別な場所に出かけなくても、街中をよく観察すれば、あちこちに季節の花が咲いているのが目に入ります。秋山庄太郎は、スタジオやアトリエのあった東京の西麻布・南青山周辺を散歩しながら、そうした道端の花を撮り歩いていました。



▲東京・南青山にて


参考:過去の記事「ご近所のぶらり散歩もカメラを手放さず」

また、ご近所のビルの屋上庭園で、大切に育てられた花を撮らせていただくこともありました。



▲東京・赤坂にて


東京湾岸の埋立地は、現在は大規模イベント施設や商業施設が立ち並ぶ人気スポットもありますが、かつては空き地が多く見られました。秋山にとってはそうした場所も、花撮影の恰好のフィールドになりました。



▲東京湾埋立地にて


幼少期を過ごした横浜は、秋山にとって街歩きの定番スポットの一つ。特に、ストリートアートの描かれた壁の一部や、横浜港の水面の模様を切り取った「抽象」作品を好んで撮りましたが、ときには街中の花壇にもカメラを向けました。



▲横浜にて


「治に居て乱を忘れず」。『易経』に出てくるこの孔子の言葉を、秋山はときどき口にしました。日頃からカメラを持ち歩いて、シャッターチャンスを逃さないよう心がけたいという意味です。
身近な場所であっても、カメラと一緒に散歩すれば、思わぬ発見があるかもしれません。





3.旅先で ― 北国と高原の夏


梅雨が明けると、いよいよ夏の旅行シーズンがやってきます。暑さが苦手だった秋山庄太郎は、梅雨の時期から夏場にかけて、北海道や涼しい高原によく出かけていました。

「肥満体である私にとって、夏は最も苦手とする季節だが、夏の北海道は山野を美しく彩る花が多いので五、六年来何日かを割いて撮影旅行を試みている。(中略)そして外国の旅に出て撮影するフィルムの本数と同じくらい浪費している。北海道行の前後も高原に足を運んで夏の山野草を撮っている。」(秋山庄太郎「北国朱夏」『右往左往の日々』日本芸術出版社、1990年より)



▲北海道にて


下の作品は、北海道の利尻礼文サロベツ国立公園付近で撮影されたエゾスカシユリとハマナス。
次のようなロマンチックなエッセイも書いています。

「北海道へ行くと、七月ごろ、海ぎわでやや大型のエゾスカシユリを見ることがある。花は茎の先端に横向きについているが、エゾスカシユリという名がいかにも浪曼を感じさせる。黒髪にこの花を挿した女性が岩かげから現れたら、旅人はわれを忘れるのではないかと思う。
 百合の花粉は衣服に付着しやすく、またなかなか落ちない。岩かげから姿を見せた女性の、スカシユリの花粉が旅人の白いシャツについたとしたら、想いの深さを象徴するようで、いかにも夏の花らしい。」(秋山庄太郎「花がたみ 盛夏芳香」『THE CLUB』1989年8月号より)




▲北海道にて


中部・北陸地方をはじめ各地の高原にも出かけました。特に、撮影会指導のため毎年のように訪れていたのが「湯沢高原アルプの里」(新潟県湯沢町)。日頃なかなか目にすることができない山野草や高山植物にも出会えます。



▲湯沢高原アルプの里にて


また、長野県内に別荘を構えており、毎年、夏のひとときを過ごしました。



▲長野県・軽井沢にて


富山県の立山に訪れた際には、初めて出会う山野草に心を躍らせています。



▲立山にて(イワイチョウ、ミヤマリンドウ)



▲立山にて(キヌガサソウ)


「富山県の立山の室堂平(むろどうだいら)で高山植物の立山りんどうや深山りんどうに出会い感激した。これらの花はどちらも小指の先くらいの小さな花で、私は今まで図鑑でしか見たことがなかったのだ。
 一番感激したのは、図鑑ではよく見ているのだが、実際には一度もお目にかかったことがなかったキヌガサソウに会えた時だ。衣笠草と書くのだが、これは素晴らしかった。大きい葉のまんなかに一輪、やや大きい花が咲いている。以前からこれに会えたらいい写真が撮れそうな気がすると感じていた花だったから、非常に驚き、普通なら五、六枚くらいしか撮らないところを、夢中になってつい二、三十枚も撮ってしまった。だからといって、出来上った写真が必ずしもいいわけではないのだが……。」(秋山庄太郎「花と香りと写真の旅」『VENUS』創刊号、1988年11月より)


この夏は少し遠出して、花写真の旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。

※エゾスカシユリ・ハマナスの撮影地情報について修正しました(2023.9.5)





4.スタジオで ― 室内花撮影の技法


ここまで屋外での花撮影に注目してきましたが、もともと秋山庄太郎はスタジオでの花撮影からスタートし、その撮影手法も多岐にわたりました。以前の記事(花写真NEW撮影スタイル*ヒント集秋山庄太郎の「花」撮影9ポイント)でもご紹介しましたが、改めておさらいしておきましょう。

1960年代半ば、本格的に花を撮り始めた当初は、花や小物を並べて真上から撮るフラワーアレンジメント的な作品を制作。



▲過去の記事「ライフワークの始動、花を「真上から撮る」」



1970年代からは、花を自ら活けて真横から撮る手法に取り組み、「写真生け花」と称しました。



▲過去の記事「秋山流家元のつもりで…「写真生け花」」



花をアップで撮る場合にはマクロレンズを主用。絞りはF16~22のパンフォーカスにして、個性的な花の造形美を精緻に表現しました。時には花を擬人化したり、何かに見立てて撮ることもありました。



▲過去の記事「姿かたちを観察する―花の個性と向き合って―」



▲過去の記事「何かに見立てる―想像をふくらませて―」



貝殻や骨董品などの小物と一緒に撮る、静物的な作品も数多く制作しています。



▲過去の記事「さりげないこだわりで、作品をよりセンスアップ」



なお、秋山にとっては、好みの咲き具合の花を選ぶのも楽しみの一つであり、作品作りの第一歩でもありました。
過去の記事「花を選ぶ―感性を大切に―」
もちろん、自分で栽培した花を撮るのもいいでしょう。手塩にかけて育てた花は、一番美しい姿で写真に残しておきたいもの。秋山庄太郎「花」写真コンテストには、そのようにして撮られた作品も入賞・入選しています。

ゆっくり時間をかけて、花と対話をしながら撮影を楽しんでください。





5.ゴルフ場で ― 屋外花撮影の愉しみ


スタジオで花撮影を始めた秋山庄太郎が、屋外の花にもカメラを向けるようになったきっかけは、1970年代半ば、四季の風景写真を撮り始めたことにありました。
秋山の風景写真は、ズームレンズをつけた35mm一眼レフカメラを使用し、三脚は用いずに手持ちで撮るのが流儀。大自然の広大な風景を撮るというより、自然の一隅の季節感を切り取っていくような作風が特徴でした。



▲撮影地不詳/1980年頃


風景も花も、趣味だったゴルフを楽しみながら、プレーの合間によく撮影していました。キャディさんにははじめ呆れ顔をされたものの、馴染みになると「何番ホールのどの花が満開ですよ」などと教えてくれるようになったとか。



▲ゴルフの合間に/1978年8月


1980年前後からは、屋外での花撮影にソフトフォーカスレンズを用いるようになりました。

「軟焦点描写は旧(ふる)い手法だが、私はその抒情的な雰囲気を醸(かも)し出すソフトレンズを昔から好んで使っている。月三、四回、ゴルフに興じるのだが、この時もソフトレンズを装着したカメラを手放さず、周辺に熱い眼眸(がんぼう)を注ぎ乍(なが)らプレーする。花時のコースは、百花繚乱で被写体がいっぱいである。」(秋山庄太郎手稿より、1980年代半ば頃)



▲静岡県内のゴルフ場にて/1989年3月


現在、レンズに装着するフィルターは様々な種類のものが販売されています。カメラ内蔵の機能でも、ソフトフィルターをはじめ写真に特殊な効果を加えられるようになりました。過度な加工は写真を不自然なものにしてしまいますが、フィルター効果等の適切な活用によって、写真表現の幅を広げることができるかもしれません。





6.温室で ― 南国の花々


最初の記事「公園・植物園で①」でも触れましたが、各地の植物園などに設けられた「温室」は、季節を問わず南国の花に出会える場所として、秋山庄太郎お気に入りの撮影場所の一つでした。

「いつ頃だったか記憶が薄れてはっきり思い出せないけれども、日本に南国の花が見られるようになったのは、戦後暫(しば)らくしてからのことであろう。その彩容の鮮烈華麗さに瞠目(どうもく)はしたものの、私の花に向ける興味とは程遠い感じだった。
 しかし各地に南国の花草木を配した温室がつくられるようになり、種類も次第に多く揃いはじめる頃から、私の花志向が本格化しはじめる時期に重なった以上、この分野を無視できなくなった。」(秋山庄太郎手稿より)




▲新宿御苑にて


洋ランの写真はポストカードとしてまとめたり、「南国の花」と題した作品群を展覧会で発表するなどしました。

なお秋山は、カトレアをはじめとする洋ラン類について、ハワイ旅行の折にその魅力に気づき、より向き合うようになったとも語っています。

「どれも撮り始めると、愛らしさを備えている。自然の造化は、すべてに完璧なのだと思い知らされるようであった。貴婦人が舞踏会などで、好んで蘭を胸に飾りたがるのも、性的なイメージ以上に美を競い合う心がひそんでいるのであろうかと思った。」(秋山庄太郎「花がたみ 洋蘭婉然」1988年より)

「カメラ散歩~秋山庄太郎の撮影地探訪」では、夢の島熱帯植物園をはじめ、様々な植物園の温室を訪れています。過去の記事もぜひご覧ください。





7.公園・植物園で② ― 秋の和花を撮る


「花は春、夏ばかりではない。俳句で、「花野」が秋の季語であるように、秋に撮る花も数えきれない。」(秋山庄太郎「私の履歴書」(『日本経済新聞』1993年連載)より)

秋山が夏から秋にかけてよく訪れる定番の撮影地は、以前の回でも名前が出てきた向島百花園(東京都墨田区)と箱根湿生花園(神奈川県箱根町)でした。古くから日本に自生してきた和花が多く見られ、格好の被写体になっています。

下の作品は、秋の七草のひとつ「桔梗(キキョウ)」。



▲桔梗/向島百花園にて(『花句会』所収)


次は同じく秋の七草の「萩(ハギ)」。萩のトンネルは向島百花園の名物で、秋には「萩祭り」が開催されます。



▲萩/向島百花園にて


「水引(ミズヒキ)」は一見目立たない花のようですが、この花を撮った秋山の作品は何点も確認できますし、次のようなエッセイもあります。

「(水引は)いつ咲いたとも知らぬうち、こまやかな紅を見せる。花穂は三十五センチにもなり、まばらにそれぞれの節にひとつから三つほど伸びて、吹いたと感じられない風に揺れる。(中略)山野を歩いていると、群生した水引にあう。陽光をいっぱいに受ける道ぎわより、半日陰になって多少湿気のある場所に咲く花のほうが、色あざやかで、沁み入る紅を感ずる。」(秋山庄太郎「花がたみ12 残照紫紅」1989年より)



▲水引/箱根湿生花園にて


なお、上掲「桔梗」の作品が掲載された『花句会』(栃の葉書房、1989年)は、秋山の花作品に5名の俳人が俳句を寄せたコラボレーション作品集です(ネットショップで販売中)。秋山自身、こうした俳句とのコラボレーションを喜んでいました。また、しばしば自分の写真そのものも俳句にたとえていました。

「私の写真は、文芸になぞらえれば、俳句だと思っている。俳句は簡単につくれるようで、一人よがりでは、その意味が伝わらない。写真でも同じだと思う。表現の個性と言っても、その個性を共有してもらえる、見る側と通じ合えなければ、寂しいものである。」(秋山庄太郎「私の履歴書」(『日本経済新聞』連載)1993年より)

多くの人に共感されるような、通俗的な美を追求する(ただし、「低俗」に堕することなく)――。そうした秋山作品に通底する写真美学が、この「俳句」のたとえには込められています。





8.公園・植物園で③ ― 舶来の花


前回は秋の和花についてご紹介しましたが、江戸時代後期~明治期に渡来した花のなかにも、秋山庄太郎が好んでカメラを向けた、秋を代表する花があります。

「天竺牡丹」の和名を持つダリアもその一つ。別の記事(「秋山庄太郎とダリア」)でも紹介しましたが、秋山は社会福祉支援の観点から、知的障がい者が働く「町田ダリア園」(東京都)の設立に協力し、毎年撮影会を行っていました。



▲町田ダリア園にて


同園での撮影作品は作品集『ダリアイン町田』(1994年)にまとめられました。また、それより以前から「川西ダリヤ園」(山形県)にも訪れており、こちらは『ダリヤ:天竺牡丹』(1991年)に作品が収録されています。ほかにもダリアの名所は全国各地にありますので、お近くの施設を訪ねてみてはいかがでしょうか。9~10月前後は生花店にもさまざまな品種のダリアが並ぶので、好みの花を買い求めて、ご自宅で撮影するのもいいですね。


またこの時期になると、コスモスが野原を彩る風景が各地で見られるようになります。

「コスモスは若い女性にもっとも人気の高い花の一つである。晩秋にさしかかり、空も澄んでひんやりと風が肌にさわやかな時期に咲くので、花の可憐さが心にひびくせいもあろう。コスモス街道と名づけられた高原の散歩道は、花の数ほどの女性で埋めつくされる。
 宮崎のえびの高原で、見わたすかぎり群れ咲いたコスモスを見たことがある。なだらかな山稜を背景に、匂い立つピンク、紫、白は微風に吹かれて揺れていた。あでやかな色の洪水なのに、哀しいね、とつぶやくほどはかなげであった。」(秋山庄太郎「花がたみ13 秋桜有情」1989年より)



▲宮崎県にて


コスモスが日本に渡来したのは明治の初め頃ですが、今ではすっかり秋の風物として定着しているようです。
秋山が発表したコスモスの作品の撮影地を調べると、首都圏では薬師池公園(東京都)周辺や向ヶ丘遊園(神奈川県/当時)。そのほか湯沢高原(新潟県)や花トピア(岐阜県/当時)をはじめ、北海道、秋田、栃木、宮崎、鹿児島…と全国各地に及んでいます。公園・植物園だけでなく、街道沿いにコスモスを咲かせているところもありますね。

しかし、撮影には特有の難しさもあったとか。秋山は先の引用に続けて次のように述べています。

「太陽に向かって開花することが多いので、コスモスの持つ可憐さを表現するのに、うまく逆光を使えないことが残念である。また花の数が無数にあるのも、漫然たる画面を作ってしまう原因になる。色が好きな系統だけに、秋になると緊張する自分がおもしろい。」(秋山庄太郎「花がたみ13 秋桜有情」1989年より)

コスモスのほかにも、秋を彩る花は種類豊富。準備を整え緊張して撮影に挑む方も、くつろいで散歩しながら撮る方もいらっしゃるかと思います。爽やかな秋空の下、それぞれの向き合い方で秋の花撮影を楽しみましょう!





9.薔薇園で ― 最愛の花を訪ねて

膨大な種類の花を撮った秋山ですが、なかでも好きだった花が「薔薇」でした。
はじめて覚えた花の名前が薔薇だったといい、「世界で一番薔薇を撮った写真家になりたい」とも語っています。

「ばらの魅力はその花容、色彩に複雑多岐な情趣のあることである。純情可憐な風情から高貴華麗なる風格に至る幅広い個性を持つ。」(秋山庄太郎『薔薇』1975年より)



▲新宿御苑にて


秋山の撮影したフィルムや、作品が掲載された写真集を見ると、全国各地のバラ園で撮影していることがわかります。主な撮影地をマップにしてみました。



▲地図をクリックすると大きいサイズでご覧いただけます。


薔薇のみで構成された写真集も3冊刊行されており、主要な作品集に掲載されたバラ作品だけでも約750点に上ります。本当に「世界で一番薔薇を撮った写真家」だったのかもしれません。

秋山が「たくさん撮る」のを推奨していたことは以前の記事でもご紹介しました。
過去の記事「たくさん撮る―花写真で人生をたのしく―」

11月5日(日)には、秋山もたびたび訪れたバラ園がある新宿御苑で「カメラ散歩」を開催予定です。ご一緒に花写真を楽しんでみませんか。お気に入りの作品が撮れたら、ぜひ「秋山庄太郎「花」写真コンテスト」にご応募ください!





あきやま・しょうたろう(1920-2003)
写真家/東京・神田生まれ。早稲田大学商学部卒業。戦後、写真館(秋山写真工房)、近代映画社写真部を経てフリーランス。女性ポートレートを数多く手がけて活躍。40代半ば頃から花を本格的に撮り始め、以後ライフワークとする。日本写真家協会、日本広告写真家協会、二科会写真部で創立会員をつとめる。紫綬褒章・旭日小綬章受章。2002年秋山庄太郎「花」写真コンテスト創始。

*秋山庄太郎の文章は引用に際して適宜省略やルビを付すなどしました。